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浅田美代子「樹木希林さんに教わったこと」

Update : 2019.05.11
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芸能界デビュー、結婚、離婚、母の死
私の人生には、必ず希林さんが傍にいました

「『美代ちゅわ~ん』ー。今でも、そんなふうに電話がかかってきそうで・・・・・・。松茸が届いたよ、今日はカニが届いたから一緒に食べよ、と(笑)。そんなふうに、まだピンときていないんです」
浅田さんが樹木希林さんと出会ったのは、16歳の頃。高校2年生で25,000人の中から選ばれ、テレビドラマ[時間ですよ]でデニューしてから亡くなるまでの47年間、浅田さんの人生の中には、ずっと希林さんの存在がありました。「[時間ですよ]や[寺内貫太郎一家]は、週5日みっちり収録していたから、家族より一緒にいて。金魚のふんみたいに希林さんにくっついては、お昼ゴハンもよく一緒に食べていました。当時は、赤坂のスタジオでの収録で、お弁当も出なかったので、演出の久世光彦さんと3人で<Top’s>にカレーを食べに行ったり、時にはランチなら安いからと<ざくろ>に行ったり・・・・・・。本当に仲良くしてもらいましたね」

 

「主婦がきちんとできたらどんな仕事だってできるよ。」
浅田さんの人生の節目、節目には、不思議と希林さんが傍にいたといいます。「21歳で結婚した時もそうでした。付き合っている時から心配してくれていて、旦那さんの内田裕也さんと一緒に『本当に美代ちゃんを幸せにできるのか!』と拓郎さんにどなり込んで(笑)。私の両親を説得してくれたのも希林さんなんです。そして、結婚を決めたものの仕事を辞めていいものかと悩んでいた私に、『主婦はお給料も出ないし、地味な仕事だけれど、コレがきちんとできたらどんな仕事だってできるよ』。そう声をかけてくれて。それで、一度専業主婦に徹してみようと思ったんです。27歳で離婚をした時は、『あなたは、元旦那さんのことを決して悪く言わないのが偉い。普通、言うものね』。そう褒めてくれました。でも、希林さん自身も、裕也さんのことを悪く言うことはありませんでした。正直、『離婚すればいいのに・・・・・・』。そんなふうに私は思っていたし、希林さんに言ったこともあったけれど、晩年の二人を見て、月日を経て、夫婦はだんだんといい形になっていくのだということも教えられました。私は、経験することができませんでしたけれど・・・・・・(笑)。そして、17年前、母が急性リンパ性白血病で余命1ヵ月と知った時も、希林さんが傍にいました。その知らせを知った翌日、たまたま[寺内貫太郎一家]のメンバーでテレビCMの収録があったんです。それで、希林さんの家に車で迎えに行って、『おはよう』と言ったら、自分では普通にしていたつもりだったのに、『あれ?いつもの美代ちゃんじゃないわね、変ねぇ・・・・・・。お母さんに何かあった?』と。それで、『実はね・・・・・・』と、車の中で号泣してしまいました。もう、考えられないくらい仲良しでしたね。お互い見かけによらず人見知りで、悪いところも知っていて。私にとって、希林さんは姉であり、母であり、親友だったんです。」

 

「老いを楽しみなさい。」
浅田さんは、希林さんのことを”バァバ”、そう呼んでいました。「出会った頃は、まだ希林さんは30歳くらいだったけれど、お婆ちゃん役を演じていたから、その頃から“おばあちゅわん”と呼んでいました。そのうち孫ができて、家族が”バァバ”と呼ぶようになって。それで、私も自然とそう呼ぶようになりました。思えば、家族以外でそんな呼び方をしているのは、私くらいかもしれませんね
そして、40代から50代へ、50代から60代へ。浅田さんが大人の女性として年齢を重ねる中でも、常に女性の先輩として、希林さんはどっしりと構え、隣にいてくれました。

 

「私なんか、このシワはいいわぁ、と思うのよ。」
「私が、女として老いと闘う時期に入った頃、希林さんにかけてもらった言葉があるんです。『老いを楽しみなさい』と。私は、希林さんからもらった言葉の中でも、それがすごく印象的で。『私なんか、このシワはいいわぁ、と思うのよ。いろいろ顔をいじくっちゃうと、その年齢の役はできないでしょ。ほら、見てごらん。お婆ちゃん役は、ぜーんぶ私にくるの(笑)』と。希林さんの存在や言葉は、近くにいて勉強になったし、自分自身の覚悟にもなりましたね」

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<写真>[寺内貫太郎一家]以来、ずっと仲の良い西城秀樹さんのバリの別荘へ遊びに行った際に、近くのホテルで二人でくつろいで。

 

 

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<写真>10年前、ハワイで。希林さんは裕也さんと、私は友人たちとゴルフをして過ごす中、合流してお茶を。

 

 

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<写真>60歳の時、希林さんにも物件を見てもらい相談して購入した千葉の別荘で。オープンテラスで食事をしていましたが、この日は風が強く寒かった。

 

 

※先輩女優としてだけでなく、プライベートでも姉として、母として、時には親友として。希林さんの話は尽きず……。さらに続きは、HERS6月号をぜひご覧ください!

 

撮影/菊地 哲 ヘア&メーク/新井克英 取材・文/河合由樹 構成/川原田朝雄

※掲載中の情報は、2019年6月号掲載時のものです。

 

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