杜の都のモリのチチ

PROFILE

森公美子(もり くみこ)歌手。1959年7月22日生まれ、宮城県出身。
テレビ、ミュージカル、オペラなどで幅広く活躍。食通ならではの知識とセンスを生かし、
HERSでは2011年5月号~2014年3月号まで料理ページの連載を担当。

第二十四回 ガゼル

日本から2日もかかってやってきたアフリカ。どっと旅の疲れが出るかと思いきや、フミコたちは広大な大地のパワーをもらい、ますます最強のファミリーとなっていきます。
3日目の朝、チチが言いました。
「今日から、銃の練習だぞ!」
「ええええええ? 危ないよ! なんで?」と子供たち。
「ここではキリンみたいに穏やかな動物ばかりではない。襲われた時のためだ」と続けるチチにフミコは、
「お父さん! 銃を使うのは最終手段でしょ? 撃っちゃいけないよ!」
「でもフミコ、ここで人が生きて行くためには必要なことなんだ」
生きること、死ぬことについて、チチは熱弁をふるったがフミコには全く耳に入ってこなかった……とはいえ、確かに野生動物が襲ってくる可能性がないわけではない状況だったし、安全を絶対保障されている場所でもありませんでした。
結局、アニとフミコにはライフルが、オトウトにはピストルが渡された。形は本物と見紛うほどだが、もちろんプラスチック製の弾丸を使用したMade In U.S.A.の遊戯用空気銃。最初は気が乗らなかったフミコも、オモチャの銃だと知って<それならば>と使い方を教わりました。焦点を合わせるのにかなり苦戦していたアニとは違って、フミコは飲み込みが早い。なんと5メートルほど先に置かれた空き缶や木片などの的をバンバン撃ち落とす……。ツアーガイドのワキウリさんをはじめ、現地ケニアの人々は
「フミコはスナイパーか? こんな子供見たことない!」と絶賛しました。

2時間に及んだ空気銃の練習を終え、昼近くになった頃に事件が起こりました。
「さぁ練習はここまで。お昼ご飯にしよう」
夢中で銃に取り組んでいたフミコは、チチの掛け声とともに、お腹が空いていたことを思い出しました。空気銃の練習を行った場所は、宿泊していたナイロビのホテルのバンガローからクルマで約2時間のところ。人里離れた一本道にポツンと佇む平屋の建物で、わかりやすくいうと、ドライブインと日用品や食料品の販売と銃器販売、そして屋外練習場を兼ね備えたような店でした。ランチはそのままドライブインの食堂で取ることになり、フミコは“カランガ”と呼ばれるケニア風ビーフシチューとチャパティを注文。しかし、なかなか料理が出てこない……。10分経ったところで、食堂のボーイ? に確認したところ、さらにあと10分かかるとの返事……。食堂の椅子で何もしないまま、さらに10分待つのは耐えられないと思ったフミコは再び外へ。すると、少し先の軒下に1本のライフルが立てかけられていました。それはガイドのワキウリさんが、フミコたちを守るために念のため携行していたものです。
先ほどの練習で、皆に褒められて気分の良かったフミコは<本物もぜひ触ってみたい、触るだけなら怒られないだろう>と思い、ワキウリさんのライフルに近寄ります。そして両手を差し出してあと30センチというところで、練習の疲れと空腹のせいか、脚が絡まってしまいます。
バタンとフミコが地面に倒れると同時に、ドーン!とライフルが轟きました。フミコはライフルを抱えるように転倒し、ライフルはその衝撃で暴発したのです。
銃声を聞いて驚いたチチ、アニ、オトウト。外に出てフミコの無事を確認。ほっと胸を撫で下ろしたところにワキウリさんの叫び声が響く。
「なんてことだ。ガゼルを仕留めたぞ!」
暴発したライフルの弾は20メートル先の草原で休んでいたガゼルの胸に当たってしまったのです。
「近くまで見に行こう」
チチは子供たち3人を連れて草原を進みます。

そこには息絶え絶えの可愛いガゼルが横たわっていました。まだ、立とうとしている。3人は臆するこなくガゼルの傍に近寄りました。
フミコはガゼルの頭を自分の膝に乗せ、「誰か助けて、お願い助けて!」と泣き叫ぶ。アニは出血してる胸を押さえ、弾を取り出そうと必死。横に立って泣いているオトウトはフミコと一緒に「ごめんなさい、ごめんなさい……」「神様ごめんなさい……なんでもしますから、この子を助けてください」と、ひたすら祈りました。
ワキウリさんらケニアの人々は、その間「He Dead!」と言いながら火をおこしていました。そして、フミコたちからガゼルを取り上げると、皮を剝ごうとするではありませんか。フミコは彼らに突進して「やめろ、やめろ、やめろ!」と、くってかかる。
ところが、その様子を見ていたチチの言葉は意外にも厳しいものでした。
「フミコ。そのつもりはなかったのかもしれないが、命をお前に奪われたんだ、この子は。お前がこのガゼルにこれから起こりうる幸せや、家族を、そして命を奪ったんだよ。その事実は変わらない。命は戻らないんだ。銃は命を簡単に奪うことができる。銃の怖さを忘れるな。その音も忘れるな。ましてや最近では、ゲームのように命を奪うような戦争や犯罪が行われているということも。今日のお昼はこのガゼルの命をいただく」
「イヤだよ。私は絶対食べない」
「いいか? 聞きなさい。この場所にはこの場所の生き方や習慣、宗教がある。それを理解するのが大事なことだ。日本だって、人それぞれ、考え方も違う。30センチの物差しでは測れないことが山ほどあるんだ。決して物差しで考えるな。世界を測れる物差しに出合ったことなんて、ないだろ? 測れないんだよ! 測ろうとするな!
もし物差しが人間に必要なら、世界を測れるだけの長ーい巻尺を持ちなさい。自分の許容範囲を超えることに出合ったら、それはそのときに巻尺を追加して伸ばせばいい。
もっとも、人間は小さな物差ししか持たないから、戦争が起こるんだ。命は1つしかない。地球も1つしかない。ここに一緒に暮らしている人たちと仲良くできなかったら、地球はいずれなくなってしまうだろうなぁ」
そんな話をしているうちに、フミコが仕留めたガゼルがちょうど焼きあがりました。
「今日はガゼルの命をいただくんだ。ガゼルは私たちの血となり、肉となって元気をくれたんだぞ。さぁ食べなさい」とチチ。
アニとオトウトは恐る恐る手に取りましたが、フミコは「絶対食べない!ガゼルじゃなくて、他のものを食べる」
「勝手にしなさい。でも他のものはないぞ」
フミコは離れたところで、ひたすら落ち込み、泣きくずれました。するとそこにワキウリさんがやってきて、
「It’s Delicious. You Get!」
ワキウリさんは何も悪くない。むしろ、ワキウリさんのライフルを無断で触ろうとしたフミコが悪い。なのにワキウリさんはニコニコしながらフミコに話しかけてくる。フミコのことを許してくれている。
そう思うと、ワキウリさんが差し出したガゼルのローストは、いくぶん抵抗なく受け取ることができました。
葉っぱのお皿にのったガゼルのお肉。
フミコは涙を堪えながら食べました。涙が混ざって少ししょっぱかったけれど、美味しかった。フミコが口にしたのを見て、チチは言いました。
「さぁ、ガゼルに感謝しよう」
草原のどこまでも続くような大きな声でした。
食後には土を掘り、草をたくさん敷いて、ガゼルの頭を埋葬しました。

命を奪う恐ろしさ、そして命の大切さを知ったフミコ。
夜中にアニと2人、寝床で話し合いました。
「この旅行って、象の足が速いというのがテーマだったんじゃなかった?」
「まさか動物を殺してしまうとは思わなかったよなぁ?」
「明日は子供たちだけで、野生動物を見に行くらしいよ」
「父さんは?」
「ハンティングだってよ!」
「言ってることと、実際にやってることのギャップが凄すぎ! まあ、そこが父さんのいいところなんだけどね……おやすみ」
その6年後、フミコはNYの街で銃声の音を聞き、<ヤバい>と思って、すぐさま目の前のブティックの中に入りました。ほどなくして路上では犯人とパトカーとの銃撃戦。
銃の音、あの怖い音のことはアフリカでの出来事以来、絶対に忘れません。

<つづく……>