杜の都のモリのチチ

PROFILE

森公美子(もり くみこ)歌手。1959年7月22日生まれ、宮城県出身。
テレビ、ミュージカル、オペラなどで幅広く活躍。食通ならではの知識とセンスを生かし、
HERSでは2011年5月号~2014年3月号まで料理ページの連載を担当。

第二十回 ICUの酸素の味

病名は小児リュウマチ。大人のリュウマチと違い、高熱が出て、手足が動かなくなる病気らしい。そういえば、確かにフミコは少し前から熱っぽかった……。しかしフミコは、子供というものは、大人になるたびに少しずつ熱を出していくものなのだと勝手に信じ込んでいたので、それほど気にしていませんでした。だから、もちろん家族にも勘づかれないよう振る舞っていました。なぜ、フミコの体調の変化に気づいてあげることができなかったのか――そのことをいちばん後悔し、反省したのは海軍軍医学校出身のジジでした。

当時、小児リュウマチは、まだどの薬が効くのかすら解明されていない奇病のひとつでした。目覚めているのに、目が開けられない。聞こえているのに、それに対して反応できない。病室のフミコも必死で体を動かそうとしていましたが、2、3日の間は動きませんでした。しかし、解熱とともに少しずつ回復したフミコは、いつの間にか病棟でいちばんの人気者になっていました……。
看護婦さんのお手伝いをするのが大好きだったフミコ。同室4人の患者が検温の時間には、「検温の時間ですよ!」と声を上げて皆を起こしました。隣り近所の病室などへも顔を出し、さまざまな病の患者さんたちの食事の世話や、下着の交換、ときには目の不自由な患者さんのために河北新報の記事の見出しを読んであげることもありました。看護婦たちは口々に言いました。
「フミコちゃんは、まるでナイチンゲールの生まれ変わりのようね」
ところが、12月のある日、いつものように隣の病室の患者に新聞記事を読み上げたフミコ。「3億円輸送車が白バイ警官に奪われる……」この直後から再び体調が悪くなってしまいました。
もう小児リュウマチは治るだろう、と誰もが思っていた矢先。フミコの熱はみるみると上がり、ベッドの上から動けなくなってしまいました。ナイチンゲールの生まれ変わりどころか、あっという間にICUに入れられ、心肺があやうい状況になってしまったのです。フミコには、意識はありました。
〈これは夢なのか? 現実なのか? わからない世界に入ってしまった。いろんな人たちが「フミコちゃん、フミコ!」と呼んでる。あれ? この人、誰だろう? あ! 私服姿の看護婦さんだ! ハハが泣いてる、チチも泣いてる。何が起きた? 私は今、どこにいる? あれっ……なんか怖い機械が出てきた、怖い……〉
そう考えながらも、そのときのフミコは、どういうわけかICUの部屋の遠い上のほうから様子を見ていたような感覚でした。そして、自分がどんどん自分の体や病室から離れていくような気がしました……。
〈体から魂が離れていく? でも、こうして意識はあるから大丈夫なのかしら?〉。
「胸を切開して直接心臓マッサージします」という医師の判断に、ハハが泣きながら
「女の子なんです。やめて下さい、胸に傷を作らないで」と訴える。
すると、当時、開発されたばかりのAEDが出てきた。医師は、「何かの障害は残るかもしれません」と言う。そんなギリギリの状態でAEDが使われました……。

1m位、体が垂直に上がった! その時、フミコは戻ってきた。徐々に命を吹き返していくフミコ。心肺停止からの復活。どうにか一命は取り留めました。上から目線だった意識も、すぐに体の中に戻り、今度は、みんなが私を見下ろしているのだけど、ライトが眩しすぎてそれぞれの顔がよく認識できない。口には酸素マスクを当てられている。
〈おやっ、酸素って、ちょっと甘酸っぱい香りがして美味しいんだな……山登りをしている人たちがよく「空気が美味しい!」とか言うけれど、何のことだかわからなかった。こういうことかな? でも空気は酸素だけじゃないし、空気に含まれる窒素や二酸化炭素も美味しいのかな? 酸素とは違う味なのかな?……なんか疲れた……疲れたらお腹が空いた……お腹が空いた……ホットケーキが食べたい! “龍亭”の肉マンが食べたいな……でもこのまま酸素だけでお腹いっぱいになると、後で肉マンが食べられなくなる。それはもったいないぞ。……ようし、ちょっと息を止めてみよう……〉
無菌テントの中に入っていたフミコの様子に一瞬ホッとした医師とその先輩にあたるジジ。山は乗り越えたと思ったら、すぐにまた止まってしまった呼吸の音。ICUに再び緊張が走った。
「フミコーッ! フミコーッ!」
叫びながらガサガサとテントを開けて、再び中に入った医師とジジ。
再びボゴボゴと呼吸の音がICUに響き、ニッと笑うフミコ。
「大丈夫か、フミコ?」とジジ。
「大丈夫じゃないよ……。お腹すいた! 肉マン食べたい……」とフミコ。
なんとか危機を乗り越えたフミコ。
あきれ返ってジジと主治医は、愕然となってました!
当然のように、翌日からは8人部屋に入ることになりましたが、むしろフミコにはLucky! たくさんの患者さんのお世話ができる! と思ったとたん、 一週間後には退院でした。

<つづく……>