杜の都のモリのチチ

PROFILE

森公美子(もり くみこ)歌手。1959年7月22日生まれ、宮城県出身。
テレビ、ミュージカル、オペラなどで幅広く活躍。食通ならではの知識とセンスを生かし、
HERSでは2011年5月号~2014年3月号まで料理ページの連載を担当。

第十八回 チチとハハの東京生活(2)

そんなギクシャクした新婚生活の様子を聞いて焦ったのは、ハハの「ハハ」、つまりフミコのおばあちゃまでした。飯倉片町のマンションに乗り込んでは、ハハの手助けとして炊事、洗濯、掃除をこなし、そればかりか、ハハの趣味だった映画や歌舞伎観劇のお供にも付き合う……あるときはハハの家政婦として、またあるときはハハの女友達として、八面六臂の大活躍だったらしい。むしろチチは、“ばあや”のマルチな働きぶりに嫉妬し、仕事を終えて、酔っ払って帰って来るたびにばあやに訴えていた。
「俺の代わりに会社に行ってくれ! 洗濯は俺がするから!」
まあ、吊るしの服を着てないハハの服は家で洗濯できるものが少なく、ほとんどがクリーニング店へ直行。自宅で洗えるのは下着とパジャマぐらいだけだったのですが……。

あるとき、ハハとばあやが近所の洋品店へ行ったときのこと。目的は、ばあやが家政婦仕事をするときのジャージーを買うことでした。仙台のハハの実家にはもちろん家政婦がいて、いわゆる伝統的なエプロンドレスの出で立ちで仕事をこなしていました。ばあやには、一度はああいうメイド服を着てみたい、というコスプレ願望があったのですが、実際に娘のもとに来てみたところ、100平米にも満たない都心のマンションではコスプレのモチベーションも下がります。結局はやっぱり機能性を追求して、動きやすいジャージーがいい。洋品店では、まず黒のジャージーを手に取りました。黒のジャージーに白いエプロンを着ければ少なくともメイド服的な色合いは残せるから、東京ならではのモダンな家政婦スタイルになると考えたのです。
「これ、ちょっと着てみていいですか」と店員に試着を申し出ました。
30代前半の慎太郎刈りが似合っている店員の顔には、ジャージーなんて試着しなくてもいいじゃん、と書いてありましたが、そもそも服は誂えるものという家で育ったばあやとしては穿いてみないと気が済まない……。そして、試着室のカーテンをシャッと開けて出てくるなり、ハハに言いました。
「イキナリいづいジャスだごだ、こいなのはしゃねっちゃ」(訳:全く体にフィットしていないジャージーだ、こんなの着ていられない)それを聞いて、ポカァーンとする店員。
「はあ?…………」
結局、それよりも小さくてスリムなサイズが揃うグリーンのジャージーを購入したばあやとハハでしたが、このあたりから近所では【もの凄く訛った言葉を話す変わった母娘がいる】という噂が立つように……。
後日、チチがその洋品店でネクタイを買うときに、慎太郎刈りが他の客にばあやとハハの話を面白おかしく説明していました。
「娘さんのほうもさぁ、ジャージーのことを『ジャス、ジャス』って言っててさぁ、あれはかなりの田舎者でしょ、ヒッ、ヒッ、ヒッ(笑)」
ばあやだけならまだしも、箱入りで育ったハハも初めは仙台訛りがナカナカ取れなくて馬鹿にされていました。だからチチは、自分が仕事のとき以外は、ハハの外出にはなるべく一緒に付き合って、カバーしてあげたといいます。しかし、一方で当の本人たちは馬鹿にされてるとは全く感じていなくて、むしろ、仙台弁を誇りに思っていたので、「このあたりの方は、あまり見聞がなくてお気の毒だわ」とチチに語っていたそうです。

8月の日曜日、住んでいるマンションの広場で自治会主催のバーベキュー大会が行われることになりました。住人たちは朝から準備に追われ、チチとハハは食材の買い出し担当として、計10名ほどのグループの中に交ざり、青山の紀ノ国屋へ行きました。
すると、精肉売り場の前で、日本語がわからない金髪の外国人マダムの方が、英語のわからない店員と悪戦苦闘していました。お互いが身振り手振りでどうにか思いを伝えようとしているのですが、全くかみ合わない……。
困って焦っている2人の間に、おもむろにハハが割って入り、さらりと何気なく。
「I’m Nobuko.May I Help You?」
「Where Can I Find KIKKOMAN?」
「They Are On The Second Aisle From The Left」
「Oh,Thank You Very Much」
「It’s my pleasure」
それはもう気持ちのいいカンバセーションでした! 今でもチチはそのときの様子をフミコに語るとき《いやぁ、あれは『水戸黄門』を観ているような気持ちだったよ!》と言います。それぐらい誇らしかったのでしょう。以来、マンションの住人をはじめ、近所の皆様も、紀ノ国屋の方々もハハに対する態度が一変しました。
久しぶりに洋品店へネクタイを買いに行ったチチが耳にしたのは、あの慎太郎刈りと客の会話。
「前に話した母と娘だけどさぁ、あれは訛りじゃなくて、英語だったみたいでさぁ……。
あの2人は田舎者じゃなくて、外国帰りみたいだよ。『ジャス』っていうのは『ジャージー•スーツ』のことを英語で略した言い方みたいでさぁ……」。思わずチチは吹き出した!

<つづく……>