杜の都のモリのチチ

PROFILE

森公美子(もり くみこ)歌手。1959年7月22日生まれ、宮城県出身。
テレビ、ミュージカル、オペラなどで幅広く活躍。食通ならではの知識とセンスを生かし、
HERSでは2011年5月号~2014年3月号まで料理ページの連載を担当。

第十六回 藤崎デパート大騒ぎ

そもそも、大好きな藤崎デパートにチチと一緒に行くとき、フミコはいつも溜息がこぼれました。なぜならデパートは、男前を自負するチチにとって、そのツボを良く理解していて、もてなす方法を知っていたから。
藤崎デパートの中で、チチはデパートの店員さんに
「モリ様! モリ様!」
と言われるのが大好物であったし、紳士服売り場の女子店員さんにお気に入りがいたのは、モリ家の家族全員が承知のことでした。そう、この伊東ゆかり似の店員さんに会いたくて足を運んでいたのです。
チチが藤崎に行くときは、誰もがわかる。なぜなら行く前には必ず
「♪あなたが噛んだ小指が痛い~♪ 」
を警報のように口ずさむから。いつもフミコには『船が出るぞ~デパート行くぞ』のごとく聞こえていました。
因みに、後日その店員さんがとうとう寿退社をしてしまうというとき、チチは、「♪~あなたがパンダわたしがコアラ♪」と替え歌にしてました。子供ながらにフミコは、〈失恋すると、男でもあんな風になるんだぁ……可愛いかも?〉と思いました。

しかし、この日のチチはちょっと違いました。普段であれば、まずは紳士服売り場に顔を出してから始まるデパートでの買い物が、今回はいきなし直接、子供服売り場! フミコはそれがうれしかった。子供服売り場のそばには、おもちゃ売り場がある!
それだけに、紳士服売り場にいるはずの“伊東ゆかり”が出てきたのには、少し驚きました。しかも持ってきた商品がアニメのキャラもの服……。
カラーテレビでの本格的なアニメ放送が始まったのは『ジャングル大帝』からで、当時の日本は確かにアニメ浸透時代でした。小学2年生だったフミコにとっても、アニメのキャラグッズを持つことは何よりのステータス。その20年後に、バブル期の女子たちがこぞって、ブランド品に群がるのと同じでした。
でも、普段のフミコの服は、
「子供には英国調のイメージがいちばん」
というチチやハハの趣味で、昔の伊勢丹の紙袋の地味なほうの紺色と緑色のタータンチェックのスカートかワンピースが定番の着こなし。後で知ったのですが、そのタータンチェックの服は、わざわざ横浜の元町でチチが買い付けていた服でした。
この日もタータンチェックのワンピースを着ていたフミコ。チチは“伊東ゆかり”に
「アニメのキャラクターものじゃなくて、チョッキをくれ!」
「この子が着るチョッキだよ、チョッキ!」
「ツイッギーとか? ん? ん? 例えばロビンフッドが着てるチョッキだよ!」
その時フミコは、イヤァ~な予感がした。次に出たチチの言葉に逃げ出しそうになった。
「この子、ツイッギーに似てるだろ? チョッキさえ着ればツイッギーになるんだよ!」
笑いを堪える“伊東ゆかり”を見ることさえできなかったフミコ。しかし、“伊東ゆかり”は
「畏まりました。ベストですね? サイズは?」
「120cmです。でも、私はチョッキはあまり似合わないので……」
とフミコが言うと、子供服売り場の店員全員が蜘蛛の子を散らしたようにベストを探し始めました。
フミコは隣のおもちゃ売り場にフラ~ッと目を移すと、これも当時人気だった『リボンの騎士』の人形が……。
〈ん? チチが言ってるロビンフッドはリボンの騎士のことでは……?〉。
そっとチチに尋ねてみると、案の定チチがイメージしていたのはリボンの騎士のことでした。
フミコは早く逃げ出したかったのですが、子供服売り場だけの騒ぎではなくなり、婦人服売り場の人も品物を持って子供服売り場に集合してきました。
「どこだ? ツイッギーは?」
仕舞いには
「ツイッギーがお忍びで来てるらしい?」
まで話が大きくなり、フミコは初めて透明人間になりたいと思いました。
しかも、チチが来店したときから、いつもと違う動きを察知して、子供服売り場に“伊東ゆかり”を先回りさせた紳士服売り場の人たちも「モリ様」に失礼がないように大わらわで、子供服売り場は大混乱。
結局、いろいろと試着した挙句、ネイビーの長めのニットベストに決めて、
「フミコ、可愛いぞ! 良し! このまんま着て帰りますから包まないで結構!」
と言い放つチチ。
その日はチチの買い物はなく、そのまま自宅に帰りました。

昼過ぎの森々旅館は、忙しさから解放される時間。ゆるい空気が漂うなかで、当時、亀田製菓から発売された【サラダうす焼】をボリボリと食べていたハハは、ベストを着て帰ったフミコにひと言。
「なんだべ? るんぺんみだいな格好だちゃ! ガハハハ」
チチとフミコは言葉を失いました。
「るんぺん」とは仙台弁で当時の「フーテン族」のことです。

<つづく……>