杜の都のモリのチチ

PROFILE

森公美子(もり くみこ)歌手。1959年7月22日生まれ、宮城県出身。
テレビ、ミュージカル、オペラなどで幅広く活躍。食通ならではの知識とセンスを生かし、
HERSでは2011年5月号~2014年3月号まで料理ページの連載を担当。

第十二回 料理の基本は沢庵切り

服部料理長の指導はその日の夕方から始まりました。
「フミコちゃん、『口では大坂の城も建つ』ということわざは知ってるかな?」
「……知りません」
「じゃあ、『言うは易く、行うは難し』ならわがるべ」
「聞いたことあるけど、あんましよくわがんね……」
「どちらのことわざも、『言うのは簡単だけど、実行するのはゆるぐねえ』ってことだ。んだがら、フミコちゃんには言葉で教えるだけでなく、初日からいきなし包丁を持ってもらいます」
そう言うと料理長は、刃渡り15センチほどの薄刃包丁をフミコに渡しました。それは、料理長が30年前に初めてこの業界に入門したときに師匠から譲り受けた包丁のひとつでした。
「これ、フミコちゃんにけっから、大事に使いなさい」
「料理長、ありがとうございます!」

さて、では最初に学ぶことは何だろう? 何を切ればいいのだろう? 心躍るフミコの前に出されたのは、糠から取り出され、きれいに水洗いされたばかりの沢庵漬け。ひまわりの花のようにビビッドイエローな直径5センチ、長さ30センチほどの大根でした。
「うわあ、とってもキレイ!」とフミコ。
「これを輪切りに切ってみよう。厚さは5ミリぐらいずつ。切った沢庵をお皿に並べるともっとキレイだよ。右手で包丁をしっかりと握って、そして左手は沢庵を押さえながら猫の手のように添えて……」
料理長のやり方を見よう見真似してみるものの、実際には難しい。“大坂の城”を建てるのはやっぱり大変なことなのがわかった。沢庵の身の中に包丁を入れるのはできるのだが、スパッと切り取ることができない。いちばん下の大根の皮の部分で包丁が引っかかってしまう。そんな様子を見た料理長が言う。
「最後はスーッと引くんだっちゃ」
なるほど、力任せに押すよりも、刃の長さを生かして自然に包丁を引いたほうが切れ味がいい! 面白くなってきた。

それから3日間、ひたすら沢庵の輪切りを続けたフミコ。1日10本は切ったので30本は犠牲になっただろうか。もちろんまだ旅館のお客様に供される状態の沢庵ではない。だからフミコが切った沢庵は旅館のスタッフ向けの賄いに毎食、てんこ盛りで出された。美味しい沢庵とはいえ、主食じゃないし、一度にそれほど食べられるものではない。だが、ひと切れも余ることなくなくなった。そう、30本分のうちの半分はチチが食べたのでした。フミコの沢庵以外は、白いご飯と味噌汁だけだった3日間、チチは喉が渇いて渇いて仕方ありませんでした……。
そして4日目。チチはフミコにピンクの割烹着をプレゼントしました。厨房にフミコが入り浸っている様子を見て、チチが商店街の洋品店にオーダーしたものでした。それを着て、フミコは意気揚々と板場へ。背の低いフミコのために置かれた踏み台に上り、いつものように包丁を構え、沢庵の輪切りを始めようとしたところ……
「フミコちゃん、今日は別の切り方を覚えよう」と料理長。
「輪切りにする前に、1本の沢庵をまず縦に真っ二つに切る。それからいつもの輪切りのように端から切る。そうするとこういうふうに半月の形になる。これは半月切りと言います。沢庵のお月様だっちゃ」
半月切り以外にも、いちょう切り、色紙切り、角切りなどの説明を受けるフミコ。
〈そうか、お新香巻きに使うときは短冊切りが良くて、お茶漬けにするときはみじん切りにすると美味しいんだな〉
料理長が伝えたかったのは、切り方しだいで、素材の味わいが全然違ってくるということ。それをフミコはすぐに理解しました。

この日の晩ご飯、フミコはチチのために初めて料理を作りました。料理とはいっても、カレーライス皿に白いご飯を盛って、その上にさまざまな形に切った沢庵を乗せたものでしたが……。
「はい。これ。お父さんのご飯」
半月切りにしたものを目に見たて、短冊切りで眉毛を作り、いちょう切りの鼻、千切り2本で描いた唇……。そう、盛り付けた沢庵の数々は、チチの似顔絵になっていたのです。
「フミちゃん、ありがとう。でも、パパの顔、こんなにカッコいいかなあ」
あまりにも嬉しかったチチは、その皿に手を付けることができませんでした。沢庵の似顔絵を眺めながら、今日も白いご飯と味噌汁と残りの沢庵を食べました。
こうやってフミコは料理のセンスを磨いていったのです。

<つづく……>