杜の都のモリのチチ

PROFILE

森公美子(もり くみこ)歌手。1959年7月22日生まれ、宮城県出身。
テレビ、ミュージカル、オペラなどで幅広く活躍。食通ならではの知識とセンスを生かし、
HERSでは2011年5月号~2014年3月号まで料理ページの連載を担当。

第八回 宴会中の事件

あれほどジジを毛嫌いしていたチチですが、実際にはジジの「軍服事件」で恩恵を受けたのも事実。ジジが県警と仲良くなったことで、チチも警官の知り合いが増え、そのうち宮城県警の新年会、忘年会、送別会といった宴会イベント関係は、必ず森々旅館の大広間で行われるようになりました。また、旅館のある並々商店街の中には、商店街のためだけの交番が作られ、そこには、キャリア30年の心優しいベテラン警官と、これまで県警勤務だったのにあえて交番での仕事を志願した敏腕刑事、そして、新人警官ながら柔道5段を持つ身長180センチの屈強な若者の3名が配属されました。
故に、「森々旅館は安全だ」とか「並々商店街では何が起きても警察が守ってくれる」といった噂が、あちらこちらに広まりました。チチ自身もそれを誇らしく思い、慰安旅行や修学旅行の宿泊先に利用してもらうために、企業、学校へ売り込みに行く際には「警察に守られた旅館」ということをアピールしていました。既にその頃には、これがジジのオコボレであることなんて、とっくに忘れていました。
そんなときに、また事件が起きました。なんと森々旅館に泥棒が入ったのです。

時は1966年の春、県警の新しい本部長の就任を祝う歓迎会が森々旅館の大広間で行われました。署長をはじめ、県警のお偉いさんばかりが30人ほど集まっての大宴会。普段はしかめっ面でお堅い人たちもこの日は目元、口元が緩み、無礼講のやんちゃな飲み会――。
「市民を守るべきわれわれが、宴会でこんなに飲んで、ええんかい?」
「そんなに飲んじゃダメだっちゃ。警察官なのに軽率官になってしまうべ」
「ウマイね! ガハハハハ……」
宴会の間、森々旅館の従業員たちはてんやわんやです。
厨房はもちろん120%フル稼働で、近所のお寿司屋さんや蒲鉾屋さんからヘルプで手伝いにきてもらうほど。仲居さんたちは、その厨房と宴会場の間をひっきりなしにスタタタタッ……と駆け回り、でも見た目の綺麗な仲居さんは、そのうちお偉いさんから「逃げないで、こっちさきて。そばにいてよぅ」と言われると、そうしないわけにはいきません。それまで必死に料理やお酒を運んでいたのに「では、お言葉に甘えて……」とお仕事放棄、というか、今でいうキャバ嬢的な仕事にスイッチします。こういう臨機応変な対応ができたところが、当時の森々旅館のモダンでいいところでした。

さて、チチとハハはといえば、県警の方々にきっちりと挨拶をしながらビールやお酒をついで回り、最終的には署長と一緒に戦時中の武勇伝で盛り上がっているジジにまでお酌しなければならない始末。県警に対する接待は成功かもしれないけど、それがジジのおかげだとは思いたくない。
「おもせぐねぇな(気に入らないな)……」
ボソリと呟いたチチは宴会場を中座し、一息入れようと思って1階フロント脇の事務室へ向かいました。時刻は夜の9時すぎ。ちょうど巨人・阪神戦の結果も出る頃。先発の堀内は大丈夫だったべか。ラジオでもつけてみるべ。
などと思いながら、廊下から事務室に入るドアの握り玉を回してドッキリ……。
そこにいたのは、事務室の金庫を開け、ボストンバッグの中にせっせと札束を入れる野球帽をかぶった男。
「ど、ど、どろぼう?」
明らかに泥棒なのですが、動揺しすぎて小声になってしまったチチ。
ピタリと動きを止めた泥棒。
静止画像のような状態が5秒ほど続き、泥棒の逃走でアクション再開。
泥棒はボストンバッグはあきらめて、父に顔を見られないようにしながら奥の窓を突き破って逃げようとしました。
その瞬間、チチはすぐ左手にあった火鉢から鉄製の太い南部火箸をつかみ取り、泥棒の頭頂部に向けて2本一緒にバチーンと叩きつけました。
「いてえ、いてててて……」
床にゴロリと倒れた泥棒。かぶっていたジャイアンツの野球帽もクタッと脱げて、顔があらわになってしまいました。
「この野郎! こっちには警察がたくさんついているんだぞ……」
持ち前の俊敏な肉体を生かして見事に犯人を捕まえたつもりだったチチですが、泥棒の顔を見た途端、再び静止画像のように固まってしまいました。
「け、け、け、けいすけじゃねえか」
なんと、その泥棒は、5年間この旅館に番頭として勤め、1カ月前にやめたばかりの顔見知りだったのです。

<つづく……>