杜の都のモリのチチ

PROFILE

森公美子(もり くみこ)歌手。1959年7月22日生まれ、宮城県出身。
テレビ、ミュージカル、オペラなどで幅広く活躍。食通ならではの知識とセンスを生かし、
HERSでは2011年5月号~2014年3月号まで料理ページの連載を担当。

第五回 格闘技好きの宿

そして昭和38年の12月、人気絶頂だった力道山が赤坂のナイトクラブで刺殺されて亡くなった翌日の朝にも、チチとジジの間で再び大論争がありました。
――もし、力道山が相撲界に残っていたら、果たして大鵬や柏戸よりも強い力士だっただろうか?
とにかくミーハーなチチは「今の大鵬と同じくらい、いや、もっと強かったかもしれん」。それに対してジジは「相撲とプロレスでは、勝負の時間と集中力が違うのじゃ。力道山は、ビジネスの才があるからプロレスで成功したんじゃ。相撲では限界があったのじゃろう」。
すると、チチは声を荒らげて大反撃。
「なして? んなことねえべ? 亡くなった人のことさ、悪く言うもんでねえべ! んだべ? フミコ。フミコも、力道山は大横綱になったと思うべ?」
確かに力道山は強かった。鉄人ルー・テーズや吸血鬼ブラッシーに勝ったし、あのデストロイヤーにも負けなかった。でも、こと相撲においては、やはりジジの言うことに一理ある。相撲は、他の格闘技とは別だ。うーん、
困った……。その挙句、
「う、うん。リキドウザンはヨコヅナになった……かも」とフミコ。
前回の一件があるので、今度はチチの側に回るべきだろう。フミコは4歳にして既にそう思いました。人生うまくやっていくためには、バランスが必要ですから。
「ほらぁ、フミちゃんも言ってるべ」と誇らしげにチチ。

そんな親子3代にわたる論争を日々、宿泊客の前で繰り返しているうちに、ここ森々旅館はすっかり”格闘技好きの宿”として巷では有名になっていました。
そして、その噂は日本プロレス協会の人たちにも知れわたり、いつの間にか仙台興行の折には、力道山に代わるスターと目されたジャイアント馬場、ブラジル帰りの日系ブラジル人という触れ込みだったアントニオ猪木たちが森々旅館に泊まりに来るように……。
実際に力道山の愛弟子で、しかも塗り壁のように威圧感のある2人を前にすると、なかなか力道山に否定的なことなど言えるはずもない。またまた形勢はチチへとなびく。
「いんやぁ、2人ともでっけーなぁ。フミちゃんも抱っこしてもらえれば、大きくなれるかもしれねぇべ」
当時、未熟児体型だったフミコのことを思って、チチがそうリクエストすると、愛想良く、軽々と彼女を持ち上げて「高い高~い」してくれる馬場さん、猪木さん。
しかも、プロレス界に人気の宿の名前は角界にも流れ、次は、仙台巡業に来た二所ノ関部屋が森々旅館に宿泊。そりゃもう、チチは大興奮! 二所ノ関部屋といえば大鵬だっ!
「いんやぁ、やっぱしでっけーなぁ。フミちゃんも抱っこしてもらえれば、大きくなれるかもしれねえべ」
にっこりと微笑みながら抱っこしてくれる大鵬関。やっぱりここでも「高い高~い」。
さて、こうなればジジとの確執もチチが完全に有利。
「やっぱし大鵬だべ。柏戸はこんなに気安く抱っこしてくんねえべ。だべ? フミコ」

――実は、この翌年には、柏戸関も森々旅館に泊まり、フミコを抱っこしてくれました。
「大鵬か柏戸か、チチかジジか」。いま50代となったフミコが思うのは、そんなことよりも「抱っこはプロレスラーだけでよかった」ということ。大きく育って欲しいというチチの思いには感謝してるけど、そして、昭和の名横綱2人に抱っこされたのは自慢だけど、本当に自分がこんなに大きくなるなんて……。
馬場さん、猪木さんでやめておけば、ここまで横幅は出なかったのでは?

話は戻って、いずれにせよ、大鵬関がフミコを抱っこした時点で、チチが天狗になっていた様子を見たジジは憤懣やるかたなし。
そんなジジは、機嫌が悪くなると釣りに出かける癖がありました。

<つづく……>