杜の都のモリのチチ

PROFILE

森公美子(もり くみこ)歌手。1959年7月22日生まれ、宮城県出身。
テレビ、ミュージカル、オペラなどで幅広く活躍。食通ならではの知識とセンスを生かし、
HERSでは2011年5月号~2014年3月号まで料理ページの連載を担当。

第四回 ジジとの確執

フミコが1歳、2歳と成長するにつれ、英才教育は、政治や経済、歴史といったジャンルの話題にも広がっていきます。
その頃に結ばれた日米新安保条約とは何なのか。日経平均株価が上がると誰が得をするのか。真珠湾攻撃のどこがいけなかったのか。
そんな小難しい話をすると、さすがのフミコも、ふわぁーっとあくびをし始めるのでしたが、唯一「日本の国技は相撲だ。心・技・体、すべて備えていなければ強くはなれない」という相撲文化論に及ぶと、目を真ん丸に見開いて、うれしそうに聞き込むのでした。当時は、大鵬と柏戸が2人同時に横綱に昇進した「柏鵬時代」の始まり。女性に人気だった大鵬の取り組みの時間帯には、銭湯の女湯が空っぽになったとさえ言われていますが、それでも実はフミコは柏戸のファン。
ウクライナ人とのハーフで、ハンサムな優男の大鵬に比べ、おとなり山形出身の柏戸は無骨で男くさい風貌。そして大鵬とは違って、しっかりと型のある相撲を取る柏戸に、なぜか幼心が惹かれるのでした。圧倒的な人気だった大鵬よりも、柏戸のほうが好き。長いものに巻かれない、というか、ちょっと天の邪鬼なフミコの性格は、既にこの時点で兆候が表れていたのです。

相撲といえば、フミコの一家では大論争がありました。フミコ4歳のときのこと。9月場所千秋楽は、14戦全勝同士の大鵬と柏戸の決戦。下馬評では、4場所連続休場だった柏戸に比べ、明らかに大鵬が有利だった。それにも関わらず実際の取り組みは柏戸が制する。
「八百長だべ。あんなに簡単に負ける大鵬じゃない」。ミーハーなチチとハハはもちろん大鵬ファン。それに対してハハの両親、ジジとババは柏戸派。
「いや、柏戸の左上手が効いていた。大鵬は立ち合いが悪かった。そこで慌ててすくい投げを打ったのが裏目に出たんじゃ」とジジ。
「んだ、んだ!」
「んなこと、ねえべさ! 八百長っちゃ」森々旅館のロビーのテレビの前では、宿泊客も巻き込んでの大口論。もちろん大鵬派が多いのだが、そんな感情的な大人たちを前に、フミコは冷静に立ち合いのマズさを指摘するジジの意見が正しいと思っていた。
「フミちゃんも八百長相撲だと思うべ? 大鵬が負けるはずがねえべ?」。そう問い詰めるチチにフミコは一言。
「でも、カシワドは強かったよ」
「んだ。フミコはわかってるべ。よく言った、よく言った!」とジジ。
チチとしては青天の霹靂でした。こんなに可愛がってきたフミコから、いきなし裏切られたような気分……。
でも、そんなはずはない。フミコはきっと騙されているに違いない。では、誰に……?
ははーん。なるほどそうか。さてはジジだな。ジジに言いくるめられているんだな……。

この日以来、チチとジジの確執が始まります。というか、ジジに対するチチの一方的なネガティブ・キャンペーンが繰り広げられます。
当時、ジジとハハは森々旅館の1階のいちばん奥の広い客室を間借りするような感じで住んでいましたが、フミコが生まれてからその客室は襖で半分に仕切られ、フミコにもあてがわれていました。フミコの部屋ということは、もちろんチチが頻繁に出入りします。
八百長相撲論争の後、チチはその部屋で、やれ「ジジは、外国の人の名前が覚えられない」とか、「軍歌と演歌と民謡しか歌えない」とか、「『センダイホテル』の洋式トイレで座り方を間違えて、蓋のほうに向かって大便をした」、「ヒッチコックの『鳥』を見て以来、スズメに米粒をあげるのをやめた」、「蚊取り線香との違いがわからなくて、フマキラーのベープマットにマッチで火を付けた」……など、フミコに面白おかしくジジの悪口を聞かせていました。襖一枚のところで聞いていたジジは、はらわたが煮えくりかえるような気分だったでしょう。

<つづく……>