杜の都のモリのチチ

PROFILE

森公美子(もり くみこ)歌手。1959年7月22日生まれ、宮城県出身。
テレビ、ミュージカル、オペラなどで幅広く活躍。食通ならではの知識とセンスを生かし、
HERSでは2011年5月号~2014年3月号まで料理ページの連載を担当。

第一回 お祭り男

「三々三拍子、それ! チビ、デブ、ブスのどこが悪い!」とチチは叫んだ。
個性的な解りやすい表現だとは、誰一人思ってない。少なくとも自分の娘が該当してるなんて、親としては決して考えたくないが、わが子の大体の将来の姿の予定は、幼児から中学生ぐらいまでの様子を見れば解ってしまう。親だからこそ霊能者のように……。
「番茶も出花」って言うけど、小学生の時に完全に思い上がり、番茶が出る頃には、既にカスカスだったりもするし、初めっから出がらしという子も居る。しかし、大学生、社会人になった途端、急に大輪の花を咲かせる女性も沢山居たりする。女が美しくなるきっかけは何時になるか? それは全く千差万別。
最近は遅咲きも多いようで、結婚してからドンドン美しくなる人もいれば、40代になって大変身! 驚きの美魔女たちも話題です。まあ、いくらメスを入れても、元々がちゃんとしていないと急にモデルにはなれないけんどね……。
とはいえ、美魔女も人の子。その顔の骨格や、肌感、目鼻立ちにはルーツがある。美しすぎて、まるでアンドロイドのように見えても、彼女には必ずDNA を受け継いだ、そして深い愛情を注いでくれたチチとハハがいるもの。

さて、ここで登場するのは一人のチチ。周りのオーディナリーピープルさんたちからは、注目されないと思われがちな女の子のチチの話。でも、世の中の女性のチチが皆こんな人だったら、冒頭のチビ、デブ、ブスをはじめ、ありとあらゆるコンプレックスの文字が頭の中から消えてしまうかも?

「七夕は としに一たひあふときく さりてかへらぬ 人のゆくすえ」と伊達政宗公が詠んだのは江戸の元和4年。まあ、400年近く前です。その頃から既に始まっていたという仙台七夕まつりは、青森ねぶた祭、秋田竿燈まつりと並ぶ東北三大祭りのひとつなんですと。1959 年、いつもよりカラッとした夏の仙台は、いつも以上に七夕まつりが盛り上がったとさ。
当時いちばんのナウいメインストリートだった並々商店街も豪華絢爛な笹飾りがひしめき合いました。笹飾りの下では浴衣姿の若いアベックが人ゴミに揉まれ、男は女を他の男から守ろうとして女の肩に手を回し、すると胸の浴衣がはだけて、汗の滴を受けていつもより大きくなった男の左の乳首がチラリ……。
それを見て、ポッと頬を赤らめ、はにかみながら目をそらすウブな女。あら、祭りっていいねぇ……。

そんな恋の第一小節が通りのあちらこちらで行われるているにも関わらず、並々商店街の老舗宿「森々旅館」では、例年ならお祭り男のはずのチチが、祭りの様子には目もくれず、生まれたばかりの愛娘を穴が開くほどに凝視していました。
「この子以上に、世の中に可愛い子が存在するはずはない」。授かったときには、世界中の父親は皆、そう思うものですが、チチの喜びようは尋常じゃありません。ハハや親戚親族に対する感謝お礼はもちろん、NHK のニュースアナウンサー、ましてや、この年に宮城県初の民放テレビ放送を開始したTBC(東北放送)のカミがちなキャスターにまで、「神様ありがとう! 僕に宝物を下さいまして、本当にありがとう」とテレビ画面に挨拶する始末。
そして、このカラッとした気持ちのいい夏以来、チチのさまざまな夢は暴走を超えて、流星が如く乱舞し始めるのです……。

〈つづく……〉