杜の都のモリのチチ

PROFILE

森公美子(もり くみこ)歌手。1959年7月22日生まれ、宮城県出身。
テレビ、ミュージカル、オペラなどで幅広く活躍。食通ならではの知識とセンスを生かし、
HERSでは2011年5月号~2014年3月号まで料理ページの連載を担当。

第二十三回 アフリカへ!

1970年は、夏休みに入った翌日が、フミコのお誕生日でした。
一学期の間に溜まった習字の作品、体育着や帽子のセット、図画工作のセットを学校から持ち帰る日。両手にたくさんの荷物を抱えて下校するフミコに田中一男君が声をかけました。
「持ってあげるよ」
優しい言葉に甘えて、フミコは一男君と一緒に帰ることにしましたが、この日はいつになく暗いムードで、ずっと2人は黙ったままでした……。何か喋らなければ、一男君を笑わせなければ、とフミコが焦っていると逆に一男君が切り出しました。
「今まで本当にありがとうね、楽しかったよ! 実は僕、明日から、違うところで生活するので、今日でお別れなんだ……」
フミコはビックリ。
「ええええ? 先生はそんなお話、してなかったよ」
「お母さんが出所するから、お母さんと暮らすんだ。僕のおばあちゃんは本当のおばあちゃんじゃなくて、お母さんの小学校時代の先生なんだよ」
「ええええ? 肉親でもないのにお母さんの先生のおばあちゃんは、育ててくれたの? ドラマだ、ドラマだ!」
どうりで一男君はお勉強ができて、同じような服を着ているけど、いつもきちんとした身なりをしていた。靴に穴が開いてる子がたくさんいた時代だけど、一男君の靴はいつもピカピカだった。
「一男君、どこに行くの?」
「わからないけど、たぶん遠い場所だと思う」
「今日ね、私の誕生日会をするんだけど、うちに来ない?」
「ありがとう。最後だし。行く」

「フミコのお誕生日会。そして、明日から夏休みダァァァッ!」というチチの開会宣言。いよいよ始まりました。毎年恒例の大宴会。フミコの誕生日会は旅館の大広間で行われました。どうせ暴れてジュースをこぼしたりするのを見越して、床には全面にブルーのシートが敷かれています。
会場では、笑いながらずっと誰かに話しかけているチチと、終始、笑わずに【トレボン食品】のシャンメリーばかり飲んでいる一男君の様子が対照的でした。
会が行われている間は一男君のことに触れなかったチチですが、終わるや否や「ドライヴでもしよう!」と言ってフミコと一男君を車に乗せました。そして、白のタテ目のアメ車を松島まで走らせ、絶景に沈む夕日を眺めながら一男君に言いました。
「一男君、何かあったら、おじさんのところに来なさい。おじさんは子供が大好きだから、安心していつでもおじさんを頼っていいんだよ。……というか、おじさんを頼って欲しいなぁ」
一男君は夕日から目を離さずに答えました。
「でも、僕、頑張ります。母、おばあさま、そして父を守らないといけないんで、もっと勉強頑張って、みんなを守ります」
「うん……うん……そうだね。勉強がいちばんの武器だ。勉強して無駄なことは何ひとつないからね。一男君、頑張るんだよ!」
……チチの目に光るものを初めて見た瞬間でした。
実は、チチは初めて一男君に会った日に番頭さんから事情を聞いていました。その後、一男君の家を訪ね、おばあさまがご病気であることを知り、ご両親や宮城刑務所に弁護士の友人を通して手紙を送って気遣っていました。フミコやハハには隠していたのですが、一男君一家の生活の面倒や更生する道を考えていたのです。
しかし、この日を境に一男君は行方知れずに。
フミコが18歳のときに劇的な再会を果たすことになりますが、それはまた今度……。

夏休みに先立つ6月のある日。チチに言われて、フミコら3兄弟は県庁にパスポートを取りに行ってました。当時は小学生でパスポートを持ってる人はなかなかいなかった時代。がらがらに空いているパスポート発給所に子供3人が並ぶという違和感……。当時は貯金通帳が必要で、残高が20万円以上ないとパスポートを取得することができませんでした。そんな貴重なものだから、パスポートを手にしたフミコたちは他の人に見せたくて見せたくてたまらなかったのですが、もし万が一、紛失してしまったら大変ということで、神棚に保管されました。神棚が正しい保管場所かどうかは疑問ですが、フミコは毎日、神棚の下からじっと見つめていたことを覚えています。
なぜ、パスポートを取ったかというと……さらに話は遡ること、その年の3月。フミコは家族で大阪万博に行きました。アメリカ館の「月の石」に並ぶこと4時間。その次は、並び飽きたチチがフランス館の美人なオネーチャンにフランス語風の日本語で話しかけて、係員に怪しまれ、別室で注意を受ける始末……。結局、アメリカ館とフランス館だけで10時間もかかる。一方、外国人をあまり見たことがないフミコとアニは楽しいゲームを考えました。外国人にサインをもらおう!
「サイン・プリーズ、サイン・プリーズ!」
集めたサインは優に200人分以上。その間、じっと行列の中に佇んでいたチチは考えました。
<10時間、ここでほとんど並んで過ごしているくらいなら、いっそ今度は海外に連れて行こう>

春先の夕食時、TVの動物番組を観ながらチチが言いました。
「象ってさぁ、足が速いんだよねぇ」
「お父さん。象はデブなんだから、足は遅いに決まってるでしょ。爆発力、破壊力はあるけどねぇ」とフミコ。
「じゃあ、本物でも見に行くか?」
「うん、いいよ〜」
そのときは、てっきり仙台市内の八木山動物公園に本物を見に行くのだと思っていたフミコ。正直言って、夏休みも大阪万博に行くことを期待していました。ところが、いきなし海外、しかもアフリカに行くことになるなんて! 金銭的に裕福でなければ、パスポートも取得できない時代。後にわかったことですが、チチの壮大なる旅行計画は多額の借金から始まったそうです。具体的な額は怖くて聞けませんでしたが……。

それにしても当時の海外旅行は、かなりハードな行程でした。南回りで、成田から22時間かけてパリに到着⇒パリではトランジットに空港で5時間待ち⇒パリからケニアのナイロビ空港まで9時間⇒ナイロビから目的地の国立公園までが、なんと車で6時間……。到着したときは全員クタクタで、どの動物が出てこようが逃げられないほど疲れ果てていました。
旅の期間中、フミコを含む3兄弟にはチチから与えられたそれぞれの仕事がありました。まず、アニは英語担当。ホテルのチェックイン、エアラインの予約カウンターでのやりとりやリコンファームなども全部アニの担当。フミコはオトウトの面倒を見るのが仕事。そしてオトウトはというと、「泣かないこと」。これが仕事だったのに、ケニアでの最初の夜にオトウトは泣き始めてしまいました。
「どうした?」と聞くと、「透明人間がいる」と言い出すオトウト。冷や冷やしながらフミコがオトウトの指差すところを見ると……。
真相はこうです。現地の方は、シャツの下の地肌が黒くていらっしゃるので、暗がりに肌の色が溶け込んでしまい、シャツだけが浮遊してるように見える。オトウトは、それに驚いただけでした。全員爆笑!
一同ほっとして、ぐっすり寝ていると今度は外で何か音がする? バンガローの2階の部屋から窓の外を見ると、何かがわさわさと動いてる……。
「わぁー、キリンだ! ジラフ。Giraffe! Giraffe Coming!」
「お父さん! キリンが来た! どうしよう?」
するとチチは寝ぼけ眼で冷静に言いました。
「そこにある果物をあげて、帰ってもらいなさい」
なるほど果物をあげた途端、キリンはお辞儀をして帰ってくれました。
ケニア初日から、ワクワクな時間がもう始まっていました。

<つづく……>