杜の都のモリのチチ

PROFILE

森公美子(もり くみこ)歌手。1959年7月22日生まれ、宮城県出身。
テレビ、ミュージカル、オペラなどで幅広く活躍。食通ならではの知識とセンスを生かし、
HERSでは2011年5月号~2014年3月号まで料理ページの連載を担当。

第二十一回 馬の名前

小児リュウマチも乗り越え、無敵になった小学生のフミコは、〈もっと無敵になろう〉と、たくさんの習い事を始めだしました。
そもそもフミコの習い事は3歳のときから始まっていて、チチの意向でピアノ、ヴァイオリン、バレエを習っていました。チチは、子供にはもっと情操教育が必要だと考えたのでしょう。一方で、ハハは相変わらず「ろくに挨拶もできない子供に無理させても、先生が困るだけだベ」という考えでした。
ヴァイオリンは楽器や道具の手入れが面倒臭いのと、いつまでたっても自分の弾く音が鋸の音にしか聞こえない、上手くいかない、面白くない……そうなると子供の体は正直なもので、レッスン日の2日前には毎回決まって寝違えて首が動かない状態になってました。
体の拒否反応もあり、結局は自暴自棄。チチの計画であった“英才教育・ヴァイオリンの部”は、2年で幕を閉じてしまいました。

ピアノでは、先生に天才だと褒められることが何度かありましたが、フミコは先生の意図を見抜いていました。チチを喜ばせて天狗にさせておけば、宣伝効果がある。そうすれば、おさらい会のときも会場は多くの人で埋まり、人気のピアノ教室になる……と。
それでもフミコ自身、初めはピアノが好きでした。ピアノは兄も一緒に習っていたし、先生の教室兼ご自宅近くに駄菓子屋さんがあって、帰りにそこへ寄れる幸せがあったから。
しかし、フミコが小学5年にもなると、先生もご高齢で、入れ歯のニオイが半端なく臭くなってきました。〈これはもう耐えられない……〉。チチにピアノをやめたいと伝えると、チチは、「フミコがやりたいと言ったから通わせたのに……前はあんなに好きだったのに……だから簡単には納得できない……お父さんが納得できるだけの理由を説明しなさい!」と詰問しました。
フミコは、さすがに「口が臭いから」では余りにも通りがゆかないと思いました。
どうしよう……でも本当のことだから仕方ない……そうだ。よし、こうしよう!
「じゃあ、来週のピアノのレッスンにどうか一緒に来て。そのときに理由がわかるから」
とチチにお願いしました。

そして、当日。チチと一緒に先生のお宅まで歩いて向かう途中、フミコはチチに、先生と話をするときは、なるべく近寄って顔のそばで話すようにお願いしました。先生はピアノの音はよく聞こえるけど、人の話し声が聞き取りづらくなっているから、などと言って。
ピンポーン……。ガチャ……。扉を開ける先生。ニッコリと笑顔を交わし、一歩踏み出して先生に近づいて挨拶しようとするチチでしたが、先生に先を越されてしまいます。
「まぁ、まぁ、まぁ。今日はお父様と一緒なのね!」最初の「まぁ」の息は一瞬でチチの鼻を直撃し、2回目、3回目の「まぁ」がたたみかけるように襲ってくる……。チチの肩は震えだし、チチは息を止めて、自分の足をモジモジと踏みながら、
「いえ、今日はフミコをこちらまで送っただけです。近頃、物騒な誘拐事件があったので……」と言い残し、そそくさと先生のお宅を後にしました。その日を最後に、フミコがピアノの先生にお会いすることはありませんでした。

習い事エピソードで話がそれましたが、退院後の“フミコ無敵化計画”のなかで、まず始めたことは乗馬でした。実は午年生まれのチチは、2年前から乗馬クラブに通っていたのですが、始めて1年足らずで障害もこなせるようになり、今では大会に出場できるほどの実力だったのです。そんなチチの活躍ぶりを見ていたので、フミコも馬は大好きでした。乗馬をさせてもらえるなら、少々の勉強や他の習い事も我慢、我慢……と頑張りました。
余りにも乗馬に熱心なフミコのお誕生日に、まさかの……馬がプレゼントされたこともあります。しかも生きている2歳の雄馬。乗馬クラブで知り合った牧場経営者からチチが買い取った馬でした。つぶらな瞳に、つやっつやの栗毛が美しいサラブレッド種。
「名付け親はお父さんにさせてくれ」とチチが言うので、フミコはダマっていたのですが、本当は「ジュリー」にしたかった……。すると、チチはニヤニヤしながら言いました。
「この子の名前は『ウシ』にしよう!」

また始まった……。家族全員がそう思いました。
チチは以前、犬が少し苦手だったハハに「ネコ飼ってもいいかな?」と言いました。ハハは「ネコならいいわ」と言ったものの、やってきたのはグレートデンという種類の犬でした。
「なしてさ? こら犬だべ」と言うハハに対して、チチは
「この犬は名前が『ネコ』ってんだ」。
グレートデンの名前が「ネコ」で、その後に飼ったドーベルマンの名前は「ラビット」でした。
そんな前科二犯があるものだから、サラブレッド2歳の「ウシ」という名前は家族みんなからダメ出しされました。
「じゃあ、『はい聖子』でどうだ?」とチチは食らいつきましたが、周りの失笑を買って、あえなく無効……。フミコはそんなチチのセンスが好きでしたが、他の家族たちはいたって冷静で、もう少し普通の馬らしい(!?)名前にしたかったようです。
結局、フミコの馬は「ヨーゼフ パウロ Jr.」と名付けられました。
かつて、チチが大学時代にナンパした女子に、「クリスチャンの人じゃないと付き合えないから」と言われて貰った名前が「パウロ」。
それとアニメ『アルプスの少女ハイジ』の犬の名と組み合わせたのです。
一応、家族のバランスを取って、チチのなんちゃって洗礼名と、いかにもペットらしい名前との合わせ技を、フミコが考えぬいたのでした。

<つづく……>