杜の都のモリのチチ

PROFILE

森公美子(もり くみこ)歌手。1959年7月22日生まれ、宮城県出身。
テレビ、ミュージカル、オペラなどで幅広く活躍。食通ならではの知識とセンスを生かし、
HERSでは2011年5月号~2014年3月号まで料理ページの連載を担当。

第十七回 チチとハハの東京生活(1)

チチにとっては、フミコのオシャレデビューのつもりでしたが、そんな晴れ姿を見てもハハは厳しいひと言。チチは落胆しましたが、フミコは特に気にしませんでした。むしろ想定内……。
というのも、旅館の女将としてのハハと、家庭内でのハハに、いかに大きなギャップがあるかは既に述べたとおりですが、ことオシャレに関して天と地ほどの差があることを知っていたからです。

女将として完璧だったハハは、いつも高価な加賀友禅の着物を着ていましたが、務めが終わった後の普段着はあまりパッとしませんでした。なぜならハハは洋服も着物同様に仕立てるべきものとの思いが強く、昔から吊しの既製服には目を止めない。ハハに言わせれば「20代の頃までウエストが56センチでサイズの合う既製服がねがったから」というのも理由とか。とはいえ、だからといって何でもかんでも仕立てていたら、今は手間とお金がかかってしょうがない……。どうせ仕立てられないなら……ということで、そのうち洋服には全く関心がなくなってしまったらしい。
そんなハハには、フミコのオシャレも【猫に小判】【犬に論語】【豚に真珠】と同じ。だから気にしない、気にしない。日頃からボルサリーノ帽を被り、頭から爪先に至るまでオシャレを意識しているチチのほうが信用できる。

そもそもハハは、江戸時代に伊達藩お抱えの米穀商として栄えた名家の出身。一人娘として幼い頃には甘やかされて育てられたものの、それが段々と良家の令嬢として厳しくしつけられていき、中学生、高校生の頃には習い事が一週間びっちりと詰まっていて、友達と遊ぶ時間もなかったといいます。月曜はピアノ、火曜は日舞、水曜はバレエ、木曜はタップダンス、金曜は習字、土曜はそろばんと英会話、そして日曜が三味線とお琴……すべて一流の先生のもとで学んでいました。
ところが、あまりにガチガチの英才教育を受けたために高校卒業後は不満が爆発したようです。ある朝「東京に遊びに行ってきます」と置き手紙を残し、半ば家出状態で上京。
そして、ひとりあてもなく新宿名画座へ『エデンの東』を観に行ったときに知り合ったのがチチ。当時、虎ノ門の建設会社でサラリーマンをしていたチチは、ジェームズ•ディーンばりのリーゼントヘアで決めていた。ハハはそこに一目惚れ! しかも聞けば、実家は同じく仙台というではありませんか。これはもうこの人しかいない!
すぐに2人はいい仲になり、結局、そのままチチを実家に連れて行き、まるで上京家出の土産のように紹介しました。ハハの両親は、家出してしまうほどハハを追い込んでしまったことをとても反省していたので、ハハが帰ってきてくれただけで嬉しくてたまらない。ハハが男を連れてきたことをとやかく言うつもりはない。むしろ、このダンディな青年がハハを諭して仙台に連れ戻してくれたのだろうと勝手に解釈して好感を持ちました。
その後のチチとハハはトントン拍子で結婚が決まり、フミコが生まれるまでの間、2人は東京のマンションで新婚生活を送っていました。完成したばかりの東京タワーが、港区の飯倉片町にあったそのマンションからは手の届くような距離にそびえていました。普通の人なら憧れるようなトレンドライフですが、今までマンション暮らしなどしたことのないハハにしてみれば窮屈でしょうがない。庭がない家なんて……。
根っからのお嬢様だったハハの東京生活を語るエピソードがあります。ある金曜日の夜、仕事を終えて帰宅したチチが、給料封筒をハハに手渡しました。
「所詮、まだ平社員だから給料は少なくてゴメンよ」
「なにを言ってるの。あなたが汗水流して稼いだお金なのだから、多いとか、少ないとかいう問題ではありません。大事に使わせていただきます」
これまで箱入り娘として、なに不自由なく生きてきたハハを私はきちんと養えるのだろうか————結婚前までそう思っていたチチもこの時ばかりはハハの懐の深さに感動しました。
〈やっぱりオレはこいつと結婚して良かったのだ〉と。
ところが翌週金曜日の夜、ハハが言いました。
「今週分をいただけますか」
「え? 先週給料は渡したけど?」とチチ。
「今週分はいただいておりません」
「ちょっと待て……。あれが1カ月分だぞ?」
「そんな話は聞いておりません。給料は毎週もらえるもの、と英国の文通友達が言ってました」
「いえいえ、日本では給料は月給です。だから私たちはサラリーマンと言われているのです。『salary』とはそういう意味だと文通仲間は教えてくれませんでしたか?」
「まあ、初めて聞いた。それではまるで、あなたの給料はお年玉と同じようなものですね」
この言葉にチチは落ち込み、ハハと口をきかない日々が何日か続いたそうです。

<つづく……>

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