杜の都のモリのチチ

PROFILE

森公美子(もり くみこ)歌手。1959年7月22日生まれ、宮城県出身。
テレビ、ミュージカル、オペラなどで幅広く活躍。食通ならではの知識とセンスを生かし、
HERSでは2011年5月号~2014年3月号まで料理ページの連載を担当。

第十三回 目玉焼きは教えてくれた

沢庵で味をしめたフミコ。次に挑んだのはキャベツの千切りでした。最初は服部料理長の切り方を見よう見真似でトライしてみるものの、なかなかキャベツが均等の幅にならないし、とてもじゃないけど料理長のように、シャッシャッシャッシャッ、と素早く切ることができない。左手はきちんと猫の手に徹しているのに……。
〈とにかく、上手くなるには練習を重ねるしかない。そういえば、前に宿に来たミスターもとにかく野球の練習が好きで、大事な試合の前夜は家の庭で全裸で素振りをしているとか。私も全裸で包丁を持って、“素切り”の練習をしなければダメなのかな……〉
そんなことを考えていると、料理長が近寄ってきて言いました。
「ここですよ、ここ。包丁の先っちょ。ここをなるべく俎板から離さないように固定するような感覚で切ってみること」
それはとっても的確なアドバイスでした!
なるほど、そうすると包丁は無駄な動きが少なくなり、そのぶん前より正確に動かせるようになったのです。フミコの千切りも、ザクッ、ザクッ、ザクッ、から、ザッ、ザッ、ザッ、と少しスピーディになりました。

千切りもある程度マスターした段階で、フミコは料理長に願いを打ち明けます。
「材料の切り方が大事なことはわかりました。でも今度はどうか目玉焼きの作り方を教えてください」
フミコは、キャベツの千切りと一緒に自分が作った目玉焼きをお皿にのせて、それをチチに出して、食べてもらいたかったのです。目玉焼きはチチの大好物。よく「あー、小腹が空いたな」と言っては、旅館の向かい側にある定食屋に行き、ビールと目玉焼きを味わうチチの様子をフミコは知っていました。
「んだべな。そろそろもっと料理っぽいことさしたいべな」と料理長。フミコをガスコンロの前に連れて行き、下ろし立てのフライパンを取り出してきました。当時、初代・林家三平のCMでも話題となったフッ素樹脂加工のフジマル・フライパン。そして材料は、蔵王産の地養卵に日清サラダ油。
まず、フライパンに油を引き、弱火で加熱する料理長。
「フミコちゃん。ひとつの料理でもね。作り方はいろいろあるんです。目玉焼きの場合も最初は強火にする人だっています」
フライパンが温まってきたところで割った卵を滑らせるようにそっと中に入れる。
「なぜならば、食べる人にもいろいろな味の好みがあるからね。黄身が固めの目玉焼きが好きな人もいれば、半熟でちょっとどろっとしたほうが好きな人もいます。それに合わせて、作り方を変えなくてはなりません。料理はあくまでも食べる人のものだから」
そのうちフライパンの中の白身の周囲がチリチリと縮れてくる。
「ここで水を入れて蓋をする方法もあります。でも、今回はここで終わり。あとは火さ消して3分、このままの状態で待ちます」
「えっ、できたのにまだお皿に移さないの?」とフミコ。
「ここですぐお皿に盛り付けようとすると、形が崩れてしまいます。目玉焼きはまだできていないから。今はフライパンの余熱を使って、さらに温めているのです」
そうか、なるほど、余熱か。味噌汁鍋で大火傷をしたときも、しばらく体が火照って仕方なかった。〈あれも余熱のせいだったんだ。余熱は思った以上に後を引くものなんだな〉。フミコが納得するうちに3分が経ち、料理長は予めフミコ作の千切りを盛り付けたお皿の上に、フライ返しで目玉焼きをのせました。

「うわあ、とってもキレイ!」
白身は、広瀬川の土手に積もったばかりの雪のようにふんわりとしていて、黄身は、青葉山公園に咲く山吹のようにくっきり。そして、表面はプルップルのツルッツル。
「そう。食べる人に美味しく味わってもらうからには、見た目もとても大事だっちゃ。料理は美しくなくてはいけません。途中で水を入れて蓋をすると、表面に白い膜が張ってしまいます。それでも美味しいものは作れるけど、ここまで美しい目玉焼きにはならんべ」「うん。キレイなほうが好き!」とフミコ。ギョロ目の料理長は続ける。
「それに、このほうが手間もかかりません。手間をかければそのぶん優れたものができるというわけではないっちゃ。料理さ限らず、残念ながら世の中そういうことになってるべ。私も昔は野球選手を目指していました。甲子園でベスト4までいったこともある名門・仙台二高で野球部に入りました。んだって、さっぱし野球は上手くならね。素振りもいっぺしたけど、ダメだっちゃ。なじょぬもかじょぬもダメだっちゃ」
興奮してくると仙台弁がいきなし増えてくる服部料理長。野球選手になる夢は、高校時代であっさりと諦め、その後料理の道へと進んだとのこと。人生を生きていくうえで、決して努力を続けたり、手間をかけたりすることだけが大事なのではない。勘やセンスが勝ることもある――目玉焼き作りは、そんなことまで教えてくれました。
そして、もうひとつフミコが確信したこと。
〈たぶん高校時代の料理長は、夜、全裸で素振りをしたことはなかったのだろう……〉

<つづく……>