杜の都のモリのチチ

PROFILE

森公美子(もり くみこ)歌手。1959年7月22日生まれ、宮城県出身。
テレビ、ミュージカル、オペラなどで幅広く活躍。食通ならではの知識とセンスを生かし、
HERSでは2011年5月号~2014年3月号まで料理ページの連載を担当。

第十一回 火傷がフミコに思わせたこと

軍医学校出身のジジの指示のもと、大学病院での迅速かつ適切な処置により、フミコは一命を取りとめました。
フミコの体は全身80%の火傷だった。それにもかかわらず、奇跡的に火傷の痕が一切残らなかったのは、チチとジジとの絶妙な連携プレーと、さまざまな偶然のおかげでした。
夏だったために、旅館には早朝に仕入れた氷があったし、さらにその日は何故か洗濯したばかりのシーツもあった。それらが火傷したてのフミコの体を冷やし、包んでくれたのでした。火傷をしてからの30分の展開は、フミコにとってラッキーなことばかりが重なり合うという、まるで運命のような出来事。まあ、最初から味噌汁の鍋に浸からなければ良かったにすぎないのですが……。

火傷が完治するまで、この騒動を振り返りながらフミコは2つのことを思いました。
ひとつは、チチやジジがカッコいいということ。言い換えれば「人は見かけで判断してはいけない」と。それまでフミコにとってのチチやジジは〈一緒に遊んでくれる大人〉でした。フミコのことを優先して考えてくれたので
「今はあっちに行ってなさい」とか
「お仕事が終わってからね。それまで待っててね」
などと言われたことはありませんでした。ビシッと背広を着て、真面目に働くサラリーマンたちとは違うゆるい雰囲気がありました。だから、病院までのチチが、追っ手を振り切って独走でトライするラグビー選手のような走りを見せるなんて、ましてやジジが昔は医者だったなんて……。
「やるときはやるべ。できる人たちは意外と普段は力を出さないのかもしんない。“能ある鷹は爪を隠す”って、こういうことかぁ。カッコいいなぁ」
いつもとは違う大人の男2人の真剣な姿を見て、フミコはそう学習しました。
そして、もうひとつ思ったこと。
「味噌汁って、あんなにあちいんだなぁ」
食べるときは口の中に入れても火傷しないのに、鍋に浸かると火傷するのは何故? ラーメンや蕎麦もそうなのか? 厨房では人が傷つくようなものを作って、それを旅館ではお客様にお出しして喜ばれているなんて、どこかおかしい……。料理って、なんて不思議なんだろう。

そんな疑問が、火傷あけのフミコを再び厨房へと向かわせます。普通なら大怪我をした場所にはもう足を踏み入れたくないもの。しかし、好奇心旺盛なフミコにとっては、ますます興味深い場所となってしまったのです。
もちろんこれまでも厨房はフミコの遊び場でした。出入りは自由だったし、大きな冷蔵庫をはじめ、洗い場や、調理台、盛り付け台など、さまざまな器具や備品があって、フミコにとっては銀色の遊園地。ここでは、チチとかくれんぼをしたこともあれば、床にロウを塗りまくってスケートごっこをしたこともあります。
でも大学病院から退院し、再び厨房に戻ってきたフミコがここでやってみたいのは料理そのもの。
ある秋の午後、フミコは厨房に入ると料理長のそばまで行き、元気な声で言いました。
「ふくべ料理長。フミコに料理を教えてください!」
厨房内で夕食の仕込みを始めていたスタッフたちからは、クスクスッ……という薄ら笑いの声。いつもは気のいい料理人さんたちも、やはりフミコを馬鹿にしてる。
「ふくべ料理長、お願いです。もうここでスケートごっこはやりませんから……」
すると今度は周囲の笑い声が、ヒクヒクヒクッ……に変わる。
料理長は、“政界の團十郎”と言われた当時の首相・佐藤栄作に顔が似ていましたが、その印象的なギョロ目をパチリ、パチリとゆっくり2回まばたきさせてから言いました。
「私の名前はね、『はっとり』と読みます。『服』という文字と『部』という文字が一緒になると、全然違う読み方になるんだね。料理もね、材料と材料を組み合わせることで全く別の味を生み出すことができる。それが面白いんだね。じゃあフミコちゃんも今日から一緒に勉強しようね」
しまった。そうだったのか……。旅館ではこの人は「料理長」としか呼ばれていないから、正しい名前を知らなかった。着ている調理白衣の胸の刺繍の漢字は「はっとり」と読むのか。事前にチチに聞いておけば良かった……。でもとにかく、ギョロ目の料理長はフミコの弟子入りを承諾してくれました。
さあ、早速今日からフミコは料理の修業です。

<つづく……>