杜の都のモリのチチ

PROFILE

森公美子(もり くみこ)歌手。1959年7月22日生まれ、宮城県出身。
テレビ、ミュージカル、オペラなどで幅広く活躍。食通ならではの知識とセンスを生かし、
HERSでは2011年5月号~2014年3月号まで料理ページの連載を担当。

第七回 軍服のジジ

警察署に連行されたジジ。
「貴様の名前は?」との取り調べに対して、
「森 湖心(コシン)じゃ」となぜか本名ではなく、釣り師としての通り名で答える。
「釣りだとか、なんとか言っておきながら、軍服まがいの変装で人を驚かしたり、覗きをしたりしていたんだべ?」
軍服まがいの変装……。いえいえ実はこの服は正真正銘の軍服だったのです。
そう。こんなジジでも、かつては江田島の海軍兵学校を卒業した元将校なのです。釣りウエアは実際の大日本帝国海軍陸戦用被服。見る人が見れば、その衿についた3つの桜が並ぶ階級章は「大佐」の証であることがわかるでしょう。
いくら詰問しても、「やっておらん」の一辺倒に嫌気がさした取り調べの巡査は、上司の警部に相談。警部は「軍服」というのが気になり、たまたまデスクの脇を通りすぎた署長に声をかける――。
「署長、署長はそういえば昔、海軍兵として従軍していたんでしたよね? いや、こいつがね、軍服みたいな服を着て、覗きをやってたお爺さんをしょっぴいてきたみたいなんですけど、許せませんよね」
「全く年寄りが軍人さ、馬鹿にするとは世も末だべ」と署長。そう言いつつ取り調べ室のドアをそーっと少しだけ開けて、その隙間から中にいるジジの姿を覗いてビックリ!
すぐにピタリとドアを閉じて、
「たまげたぁ……」
「署長、どうかしましたか?」
「お前らぁ、、、えらいことしよったな、、、あの軍服はなぁ、、、本物だべさ、、、」
衿を正し、一度大きく深呼吸して、今度は勢いよく取り調べ室のドアを開ける署長。
「大佐殿っ、大変失礼いたしました! わが署員の無礼をどうかお許しください!」
敬礼しながら大声で謝罪する署長に対して、「まあ、いいんじゃよ。気にしなくてよい。ただし私は本当に覗きなどやっとらんよ」と冷静に応えるジジ。
「本当に申し訳ありませんでした」
とにかく署長はヒタ謝り。
でも、ジジはしょっぴいた警官に怒ることもなく、寛大な態度で署長の謝罪を受け入れたのでした。

それ以来、ジジは宮城県警の人気者となり、遠出の外出のときは、電話1本でパトカーが家に迎えに来てくれるほど。もちろん、ヘラブナ釣りのときもパトカーが送り迎え。バスに乗る必要はなくなりました。
パトカーをタクシー代わりに使うジジは、森森旅館の近所でも評判になりました。現代の感覚とは違い「こんなにしょっちゅうパトカーに乗れるなんて、よっぽど偉い人なんだろう」というのが大筋の意見でした。それにもかかわらず、チチだけはパトカーが来るたびに「また捕まった、また捕まった」とジジを犯人扱いしてました。
悔しいチチ。それまでは、釣りに関して言えば、ジジよりもチチのほうに分がありました。なぜならば匂いが強くてそれほど美味しくないヘラブナは家族の誰にも見向きされない。それに比べて、チチが海釣りで仕留めたアイナメやメバル、ハゼ、アジ、カレイといった魚たちは食卓を賑わしてくれる。だから、イワシしか釣れなくても、チチはヘラ師のジジに勝者の顔をしていました。なのに形勢はすっかり逆転。

さて、そんな2人に対してフミコはといえば……?
とにかくジジの日本兵の恰好は可笑しくて、一緒にいると知らない人が声をかけてくるし、敬礼してくるので楽しかった(その軍服がどれだけ凄いものなのかを知ったのは、ジジが亡くなって遺品を整理した時でした)。
一方、チチが海釣りに行くときの服はまさかのゴルフウエア……。漁師やいかにも釣り人風のファッションを嫌ったチチは、当時アメリカのゴルファーたちに人気のあったマンシングウェアのポロシャツに、マックレガーのスウィングトップジャンパーを羽織り、ブラックウォッチのチェック柄ズボンという出で立ち。岸壁の上でも、釣り船の中でも、明らかに浮いていました。オーソドックスな他の釣り人連中からは怪訝な目で見られ、でもそれはそれで、なんとなく注目されているから面白い――それがチチとの釣りの思い出。
軍服のジジとゴルフウエアのチチ。いずれにせよ、「どちらも、釣りの世界では負け組だ」とフミコは強く感じていました。

<つづく……>